進路に迷ったら 高村光太郎「道程」から考える
こんにちは。美術科のりさてぃです。
(デンマークの田舎道)
(群馬県嬬恋村)
(石垣島新川町)
僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る 道は僕のふみしだいて来た足跡だから 道の先端にいつでも僕は立っていると始まる詩があります。 詩人・高村光太郎の「道程」という詩です。 今回はこの詩を紹介しつつ、進路について考えてみたいと思います。 私が10代の頃、進路は、親や担任の先生からひとまず提示されるものでした。 「この成績なら、この学校ですね」 「このままいくと厳しいから、あとこのくらいはがんばりましょう」 自分で選ぶという感覚が、まったくなかったわけではありません。しかし、今振り返ると、選択肢そのものは周りの大人たちによって用意されていて、その中から選ぶことを「進路選び」だと思っていたような気がします。 また、そのときは自分の意思で選んだつもりでも、実は誰かの期待に応えるために、無意識に選択していたこともあったかもしれません。 しかし、20年たった今、中高生と向き合っていると、進路を取り巻く環境が大きく変わっていることに気づかされます。
(デンマークの田舎道)
情報があふれる時代の進路選択
今やオープンスクールは毎月のように開催され、文化祭や説明会の情報も、LINEなどを通して手元に届きます。説明会や体験授業で先生や先輩に会い、本当にその学校が自分に合っているかを確認することが、自然になってきました。 大学や専門学校、高校が多くの情報を整理して発信する姿からは、「大事な情報を逃さず届けたい。気づいてもらいたい」というメッセージを感じます。しかも、AIに質問すれば、すぐに意見をくれる時代になりました。 そうなると、今度は別の力が必要になります。 情報を集める力だけではなく、「選ぶ力」です。 自分にとって、どの情報が役に立つのか。 どのアドバイスを受け取り、どのアドバイスはいったん脇に置くのか。
(群馬県嬬恋村)
全部のアドバイスを聞かなくていい
中高生の頃の私は、周りの大人たちからのアドバイスを、無意識に全部取り込んでいた気がします。 先生や家族、親戚、習い事の先生。 みんなが「食べなさい」と差し出してくれた、お皿いっぱいのごはんを、どれが食べたいかを考えることなく、全部食べていたような感じです。 その結果、お腹はいっぱいになります。でも、どれがおいしかったのかは覚えていないし、少し無理をして食べたような気もする。 つまり、それでは次に進むためのエネルギーにならないんですよね。 同じように、情報収集をがんばったのに、結局「自分は何をしたかったんだろう」と、わからなくなってしまう人は少なくありません。取捨選択しなければ、情報はノイズにもなってしまうんですよね。
(石垣島新川町)
自分の道は歩いたあとにできる
その先の人生を生きていくのは、本人です。 迷ったら、冒頭で紹介した詩を思い出してほしいです。僕の前に道はない。 僕の後ろに道は出来る。大事な人が、よかれと思ってくれたアドバイスも、一つの意見でしかありません。もちろん、このブログもその一つです。食べるかどうかは、自分で決められます。 実は「道程」はとても長い詩で、こんな一節もあります。
歩け、歩け どんなものが出て来ても乗り越して歩け この光り輝く風景の中に踏み込んでゆけみなさんが、自分で選んだ道を歩いていけますように。